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習慣★HIROSE 文:広瀬泰弘氏

近代愛

 とてもスタイリッシュで、古い戯曲をまるでピカピカの新作のように見せてくれる。その語り口(切り口)は、とても新鮮で、すばらしい。黒の下着で統一した衣装と全身に施されたアザのメイク(まるでゾンビのように見える!)。6人の男女は、時には黒子になりながら演じていく3つのショートストーリーは、全く別のお話しなのに、トータルで1本の作品として綴られていく。
 近代というクラシックを、近代を越えた近未来(現代のさらに先)すら視野に入れ、僕たちがまだ見たこともないラブストーリーとして作り上げてしまう。才人外輪能隆の本領発揮の傑作が、あとすこしで出来そうだった。しかし、見終えた時には、これはエレベーター企画らしからぬ頭でっかちの失敗作という印象が残った。その原因はどこにあるか。答えははっきりとしている。台本の圧倒的な古さである。外輪さんは、それこそを武器にして、そこに普遍性を獲得できると信じこの作品を作った。しかしすこし長い第3話(正宗白鳥「人生の幸福」)がうまく処理しきれていない。ある程度の長さをもったお話しになったとき、台本自体の力のなさは演出ではカバーしきれなくなる。せめてこれも先の2本と同じように30分程にカットしてお話しのエッセンスだけで全体の構成の中にうまく組み込むことができたならよかったのだが、このエピソードが全体のバランスを壊し、この芝居自体を台無しにしてしまう結果となった。この作品だけが自己主張しすぎて、外輪さんのコントロールがきかなくなったのは本当に惜しい。
(02.2.10 3:00~ 創造館)

アンソロジー3

 5つの短いお話しのアンソロジー。岸田國士からレイモンド・カヴァー、とっても上手いセレクションだ。次回のクラシックルネサンス近代愛のプレビューみたいな面もあり、いつもながら、めちゃくちゃうまい。並べ方のセンスもいい。
 1話と5話は再演だが、昨年見た「紙風船」なんて、空間の違いと、アンソロジーの1本目という位置もあり、かなり違う印象の作品に仕上がった。この5つの物語の示す方向性をこのエピソードがきちんと定義付ける。何もないのに、ほんのすこし不幸な人たち。初演の時、この夫婦はもっと幸せに見えたのに、今回はすこし不幸に見える。それくらいに微妙な揺れが描かれる。あとの4本も、もっとはっきり方向が示されているだけにこの1本目のきわどさはすばらしい。ほんというとこの2人は幸せでも不幸でもない。ただなんとなく日常の退屈をもてあましている。それだけのことなのだ。そしてそのことを彼らは喜びもしないし悲しんだりもしない。人はそんなふうにして生きているからだ。なぜ今回は不幸の方に揺れてしまったのか、それは空間の問題なのである。トモノス中央の狭い空間と今回の應典院の差、それが作品の印象をこんなにも変える。それは外輪さん自身もわかっていることだろう。
 短い2話をはさんで3話目は、とてもはっきりとした孤独がきちんとした言葉で綴られていく。役者もいつものレギュラーを使わずに、エレベーターっぽくない。その違和感もまた自分たちの持ち味にしてしまう、もう自由自在だ。
 そしてラスト2本は、いつものメンバーでいかにも外輪さんらしい透明感のある物語をしっかり見せる。緩急をつけメリハリのしっかりした構成でトータルなイメージを提示するのは、東京公演も意識した戦略なのかもしれないが、きっとあまり考えず無意識にしているのだろう。
 あたりまえの日常を生きていく僕らの中にある孤独、さみしさというのは、こんなふうに淡いものなのかもしれない。ストーリーではなく何もないからっぽの空間がきわだっている。そこに一人、二人、ぽつりとたたずみ言葉を交わす。2時間があっという間のことに思えた。
(01.12.12 7:30~ 應典院)

透闇

 空間の使い方が見事だ。初演時は長机ひとつと椅子が2脚で見せたものを、今回は点滅する蛍光灯、2つずつ4列に並べられた長机のむこうに、2人が向き合うことになるテーブルを配置する。舞台前面長机には、この町を象徴するいくつものミニチュアと調度品が置かれ、そこをアーノルドは、さまよいながら独白する。作りかけになったままの橋、彼が殺した女たちを埋めた公園、スザンヌによる3度のインタビュー、消耗していく彼女の姿。
 外輪演出は、この小さな町の、一人の男の心の闇の奥深くへとゆっくりゆっくりと降りてゆく。空間の広さを生かし、狭い刑務所の面談室との対比の中で、この連続殺人犯の内奥に迫る大傑作。
(01.4.20 7:00~ プラネットS)

熱き死者、夜の訪れ

 お話し自体はとてもスリリングでサスペンスとしても上質のものなのだが、それをあえて体温の低い作品に仕上げて見せようとする。手に汗を握らせたりしないのである。空間設定にしてももっと狭い場所にして、圧迫感をもたせたり、密な時間を作ることもいくらでもできる。なのにわざと広くてフラットな空間を設定して、平板にすら見える見せ方を目指す。本来なら絶対やらないことばかりわざとして、作品の持つ力を削ぎとってしまいかねない見せ方をして、この作品の見せようとする問題を冷静に図式化してしまう。人はなぜ狂っていくのか、彼女が受けた痛みすら相対化させていく。お話しを見せるのではなく、この状況下にある3人の男女の姿を、まるで実験を観察するみたいに見せようとする。
 無機的な描写、感情的な場面すら感情移入をあえて拒否して第3者的視点で描くことで、人間というものの正体を突きつけてくる。
(01.2.6 7:30~ プラネットS)

話す。Dプロ

 もともとエレベーター企画という集団の作劇は、語りに近く、本を読んで聞かせるように芝居を見せていくことをベースにしている。だから今回のような企画自体、何の不思議もない。まるで、朗読でもするかのように、密な空間で芝居を見せてしまう。これはあくまでも、ものすごくよく出来た芝居である。
 目の前で役者がまるで自分のことのようにこちらにむかって秘密をうちあけるように、とっておきのお話しをじっくりと聞かせてくれる。これはまたひとりぼっちの自分の部屋で短編小説を読むときに似ている。自分と(相手と)一対一でむきあう。
 この小空間とほんのひと握りの観客(この日は、4人。スタッフキャストは6人いるのに)とむきあい、とても贅沢な時間を過ごす。役者と完全に目が合ってしまうことも、ままある。
 僕の見たDプロは、外輪さんの「拗」と大野さんの「妙」の二本立て。男の子のロマンとセンチメンタルを、さらりと元気に見せる「拗」と、女の子のリアルが切なく胸にしみてくる「妙」。とてもいいカップリングだった。大野さんが語る女であることの痛みをベースにしたお話しは、彼女(お話しの主人公ね)のずるさに弱さを含めてとてもよく描けている。対して外輪さんは、男の子の無邪気と残酷が鮮明に対比する2つのエピソードで出来ており、シンプルだからこそ心地よくしっかり胸にとどいてくる。
 この企画は、観客の胸にダイレクトに(ほんの少し手をのばせばとどくところで語ることも含めて)伝えようとすることを、第一の眼目にして成り立っており、その作品選択も含めてとても見事に成功している。
(00.9.14 8:00~ CREAM ROOM)

フラミンゴガーデン

 どうしてこんなにストレートなお話しを持ってきたのだろうか。兄と弟の友情物語がよくないと言ってるんではない。だがあまりにも当たり前すぎて、おもしろみがない。しかも今さらエイズを扱ったってそれが何らかのメッセージにはもうならない。エイズに対して偏見があった時代を(今も決してなくなったとは言えないが)背景にして語らなければならない必然性も感じられない。賢い兄と愚かな弟なんていうもう何千年も昔から手垢のついたような話を、今なぜ見せたかったのか。外輪さんのこだわりが全く伝わってこない芝居になっている。一番気になるのはそこである。うまくできているし、ぐいぐい引き込んでいく力はいつもながらのエレベーター企画だ。あっという間の95分だった。モノローグと対話を組み合わせてストーリーを見せていく手腕は確かなものだし、この自分たちのスタイルが板についてきて心地よい。小説をそのまま生かし、立体的に作りあげていく。
 だが今回は、無意味に登場人物が多く、そのこともこれに乗り切れなかった一因かもしれない。個々の内面にまで踏み込めず総花的になっている。主人公2人の描き方も、弟側からだけで見せているので、兄の描き込みが浅くなったのも気になる。
(99.12.11 3:00~ プラネットS)

フラミンゴ

 一灯の光のもとで、その光がとどく範囲の中で芝居はくりひろげられる。世界はこんなにももろく崩れ去ってゆく。一瞬の出来事がすべてを壊してしまい、その後に残るのは、静寂。舞台中央、上手寄りに灯がありその下で語り合い言葉が交わされてゆく。そのまわりには当然闇であり人はその闇の中現れ、その闇の中に消えてゆく。プラネットSの広い舞台はそのほとんどが闇に閉ざされたまま芝居は始まり終わってゆく。
 このわずかな灯りの中だけに世界があり、それを包み込む闇の世界は永遠に続く。少年はそんな中でふるえるように生きている。少年は母親と2人で暮らしている。父親は母に暴力をふるい続け、ある日突然去ってしまった。少年はそれでいいと思っているが母親はあんな夫を決して悪く言わない。今もあの男を愛してるらしい。
 夫がいなくなって苦しい家計の補助のために部屋を貸すことになり、下宿人がやってくる。40代の銀行員らしい。少年に男はある話をする。その男がまだ少年と同じ年代だった時の出来事だ。この男の心の闇と少年のそれが重なり合ったとき、残酷な結末がやってくる。
 下宿人役の土本ひろきがとてもいい。彼の弱々しそうな笑顔、それが病的なものに見えてくる。彼がこの作品全体を引き締めていく。この男と母親(松本喜美子)が、この作品の核となり少年の内的な変化が描かれてゆくのだが、松本さんにもうすこし存在感が欲しかった。彼女の不条理と優しさの中で少年の中の狂暴さが徐々に目覚めていく。この作品のキーパーソンなのに、彼女が芝居の中の背景にしかならない。
 世界が崩れ去る直前のような気分、ニコニコしていた男が一瞬の後に暴力を奮い、めちゃくちゃになる。その暴力自体ではなく、暴力への予感、それが緊張感のある舞台として提示できた佳作である。
(99.6.14 7:00~ プラネットS)
習慣★HIROSEより抜粋

 

 

 

 

Last Update 16/02/14