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悲劇喜劇

庭のジェット機と「青木さん家」

 異様に暑い今年の夏だが、夏休みにあわせたワークショップや講座がよく開かれている。つめた稽古ができ、使用する施設に空きが多くなるためか、劇団公演も減っていない。夏の暑さにも負けず、というところか。
 エレベーター企画の公演『ぼくは747を食べてる人を知っています』(原作/ベン・シャーウッド、脚本・演出/外輪能隆)は魅力的なタイトルだ。舞台化し難いと思われる小説を素材にして演劇的想像力を膨らませ、独特の緻密な世界を紡ぎ出す外輪の活動には毎回注目させられる。「747」とはジェット機ボーイング747のことだ。
 様々な世界記録を公認している出版社に投書が届いた。ぼくは747を食べてる人を知っています。興味をもった記録係のジェイ・ジェイが訪れた中西部の田舎町では、一人の農夫が、庭に不時着し置き捨てられたジェット機を粉砕機で粉にして食べていた。何のために?それは片思いの女性の気をひこうという、切ない愛の証しなのだった。
 しかしこの「至高の愛」の物語の主人公は、実はジェット機を食べる農夫ではなく、他人の作った記録を確認しながら、自分は全く平凡な人間だと自認しているジェイ・ジェイだ。世界記録の話題で町は世界の注目を浴びた。だが出版社は記録を公認しないことを決める。他所者によってかき回された小さな平和。その中で町の人たちはお互いをより思いやるようになり、ジェイ・ジェイは愛する人を見付けることが出来る。農夫も自分を見守っていた別の女性に気がついた。
 エレベーター企画の芝居の基本は、人の心理の奥にある自分でも知らない、知りたくない要素を、外科医の熟練したメスのように冷静に一刀ずつ切り開いて、舞台に示して行く。さらけ出すことは、押し込められていたものを解放する行為でもある。しかしそうした突き詰める視点の置き方は深まる程に狭まり閉塞し、緻密過ぎる舞台構成・進行とあいまって、観客の息を詰めさせる。今回の舞台で外輪は「エンターテインメントをやってやろう」と思ったそうだ。その「エンタメ」とはつまり、舞台の上だけが先に行くのでなく、観客の気持ちを楽な状態に置いて一緒に進み、人間がもつ辛い部分とホワッとした部分の両方に気づかせて行くことのようだ。中心人物という「個」の心の一点に向けて突き進むのではなく、何人もの登場人物の外に見える行動に視線を向け、それぞれを暖かく描き出して個に戻る。一人が何役も担当するコロス手法が、うまく作用している。特徴の無い白の衣装に統一したのもそのためだろう。いつもは静的な気分の強い芝居を作るが、今回は演技者たちが自転車に乗って動き回る。装置を使わず、自転車がいろいろなものに見立てられる。それが爽快なスピード感を招き、これも舞台を開放的にする大きな助けとなった。
 ジェイ・ジェイは自分に取り柄が無いと考え、傍らから現実を見ていようとする。だが町の人たちと触れあううちに自分の居場所に気づく。演じる土本ひろきは台詞も動きも巧みで、ある種の浮遊感をもつ役者だが、繊細な若者を静かに描き出す。阿部一徳(ク・ナウカ)の農夫は落ち着いた太い声で、素朴だが粗野ではない男の一歩一歩の生き方を示す。たきいみき、京ララ、虎走萌ら女性たちも巧みだが嫌みのない演技で、劇団が意図した「楽しめる」舞台を作り上げた。(7月31日 プラネットステーション)
 この舞台は今年の「大阪春の演劇まつり」の最後を飾り、圧倒的な好評を得て作品賞(大賞)を受賞した。なお他の受賞者は、男優賞/要(かなめ)冷蔵(劇団往来)、女優賞/柳辺育子(劇団息吹)、新人賞/島芳道(劇団未来)、スタッフ賞音楽・効果/劇団翠、美術/劇団ガバメンツ、企画賞/厄プロジェクトであることを、この場で記しておく。
 創立50周年を迎えるアカデミー児童劇団が、先輩格のNHK大阪児童劇団と合同公演を行った。『でいごの花咲くころ~沖縄戦に散った白梅隊の悲話~』(中村八大/音楽、竹内伸光/台本、筒井庸介/脚色・演出)。この劇団は「児童はすばらしい演者なんだ」と提唱して、演劇を人間教育の方法、可能性を自由に伸ばしてゆくものとしてとらえ、実践してきた。演劇がお稽古事のひとつになり、マスコミデビューすることを夢見てプロダクションの養成機関に通う子供たち、通わせる母親たちも多いが、アカデミーはあくまで演劇活動そのものに基盤を置いている。運営が大変だと思うが、まだまだ頑張ってほしい。
 『でいごの花咲くころ』は、沖縄戦に看護部隊として従軍した県立第二高女の学生(校章の"白梅"から「白梅隊」と呼ばれた)たちの悲劇を描いている。記念公演を華やかな作品でなくメッセージ性の強い作品で行うところに、この劇団の思想がある。子供たちに「戦争の悲惨さ」を描く芝居を経験させることで、非戦への決意、平和の大切さを体から受け止めさせようとしたのだと思う。戦争や原爆の恐ろしさとそれを繰り返させない決意を、いかに前の世代から引継ぎ、次の世代に伝えてゆくか、その大切な義務についてしばしば考えるが、こうした上演はその一つの方法である。前半の日常の暮らしと、後半の戦場での苦しさ怖さをはっきり分けて描き理解しやすい。舞台の上手に唱歌を歌う白梅隊、下手に軍歌を歌う少年たち鉄血勤皇隊を配し、叙情的な唱歌が軍歌に圧倒されてゆくことで情勢の緊迫を示す音楽面でのミュージカル手法も、定石的だがおさまっている。児童劇団員たちは落ち着いてはっきりと台詞をしゃべり、歌もしっかり歌えている。最近の子どもは音感も良く達者だ。よくそろった集団の動きが主で個々の演技は目立たないが、それで良いと思う。ただ私が気になるのは、被害者の側から見た、罪なくして死へと追いやられる少女たちの悲劇が可哀想なものとしてだけ描かれ、同時に加害者であった日本人、また彼女らを殺さなければならなかった「敵」の姿がまったく見えてこないことだ。国のために戦い死ぬことが当たり前とされていた時代だと、そういう説明はされるけれど、仕方無かったで留めず、批判があるべきだ。子供たちの舞台に坂手洋二の仕事ほどの強烈な視点は求めないけれど、バランスの取れた世界観の上で、子供たちに戦争という不条理を演劇において擬体験させて、平和への強い願いを持たせたい。(8月12日 NHK大阪ホール)
 南河内万歳一座が笑いたくなるくらい元気である。万歳一座の番外公演「○万」による「夏の青木さん祭り」で、内藤裕敬作の元祖『青木さん家の奥さん』、女性(アマゾネス)版『青木さん家の奥さん?』、そして劇団若手の皆川あゆみによる新作『青木さん家の奥さん1/2』の三作を連続公演している。南河内万歳一座から座長の内藤をひいたら何が残るかという問題意識が「○万」の出発点ということだが、まったく新しいものを作るというより、これまで内藤が切り開いて来た演劇的仕事を、荒谷清水をヘッドコーチにして新しい劇団員に見直させ、より良く引き継がせてゆこうという意図だと思う。内藤は関西小劇場シーンにおける自他共に許すカリスマだが、大手株式会社の社長より町工場の親父さんが似合う気遣いの人だ。「○万」の活動にもこの「家父長」の意図が反映されているだろう。
 酒屋の倉庫でアルバイトがイモの皮をむいている。先輩の店員たちが、青木さん家への配達伝票をめぐって言い争う。青木さん家の奥さんは憧れの人らしい。配達に行かせてくれと頼むバイトくんに、先輩たちは奥さんを楽しませるための独特の配達方法を特訓してゆく。『青木さん家の奥さん』という芝居は、設定とルールはあるが台本がない。役者たちは舞台の上で即興で台詞や動きを作って「芝居」を進行させてゆく。例えば伝票を盗られたという情況を、最初の者が面白おかしく話す。次の者はそれを受けてすぐに、輪をかけた突飛な話を作らなければならない。突拍子もない動きも即興だ。順番はしばしば狂わされるので気が抜けない。そして役者たちはその困難さを楽しんでいる。万歳一座の『青木さん家の奥さん』とは、題名でなく演劇手法・ジャンルになっている。こうした芝居作りは、芝居が止まってしまったり、収拾がつかなくなる危険をはらむ。そのために演出を担当する荒谷が、舞台に立ちながら進行役をつとめる。どんな風に笑いを作るか、誰にふるか、ダレる前にどこで切るか、はずした時はどう繕うか、時にはわざと困らせる。巧みな誘導で、絶句したり、的はずれの話が出たりもするけれど、舞台は止まらない。誰にどう突っ込めばどういう反応があるか互いによく知り合っている。この舞台を観ると、劇団のルーツに大阪芸術大学があることをあらためて思う。養成された即興性、悪びれない自己主張、先輩同輩後輩の共通感覚、サービス精神溢れる大阪人の口八丁手八丁。荒谷、三浦隆志、安宅慶太、福重友、鈴木こうによる舞台はいつ終わるのか心配になるほど伸び伸びとして、客席をわかせた。もっとも女性版である『?』ではこうは行かなかった。こちらは「青木さん」とはまるで関係なく、本番三日前に書きかけの台本を残して作家が消えてしまい、劇団員たちが芝居を作ろうとする設定。女優陣も即興性は負けていないけれど、それぞれの言葉が相手一人に向かってぼろかすに言う、で終わってしまう。なるほどそれであれば個人のところでとどまるから舞台全体が止まってしまう心配はないが、膨らんでゆく発展性も弱くなる。男性版にあった、おれがこんな爆弾を投げたら他の者はどうする、という開き直った冒険が、女性版にも欲しい。『?』は東京を含めてまだ多く上演されるから、変わってくることを期待する。『1/2』は都合がつかず。次回の機会を楽しみにする。(8月23日24日 ウィングフィールド)
文:神沢和明氏(悲劇喜劇2004年11月号より)

『わが日録 ~ウチハソバヤジャナイ~ 』

2002年6月22日
 シンガポールアーツフェスティバルでの『王安メディア』千秋楽。終演後にホテルのバーで、同席していた数名に、ケラ作品をク・ナウカで上演したいという話をうち明ける。実は喜劇を取り上げたいという構想は、僕の中ではさらに数カ月前、新宿でベターポーヅを見たときに芽生えていた。「間」の良い悪いはどんなジャンルの芝居をやるにも演技のキモにちがいないのだが、俳優にとってそれを最も容赦なく鍛えられる場が喜劇だと考えたからだ。しかも、シェイクスピアやモリエールの喜劇では、その意図が徹底がしないおそれがある。たとえ面白くなくても、ありがたみさえ醸し出していればク・ナウカの芝居としては観客から許されかねないからだ。だから、せっかく喜劇をやるなら、“ありがたみ”からはなるべく遠い作品を選ばなければ意味がない。ケラ作品を、というアイディアはこうして導き出された。………それにしても少し先の作品の構想を俳優に話すタイミングは難しい。目前に初日を開ける公演がある場合、それに集中している俳優に対して気を散らせるような話をするのは、(演出家である僕自身が目前の作品に集中していないように思われる心配もあって)どうも気が引ける。しかもク・ナウカの場合、次から次へと「初日」がやってくるので、結局のところ話すタイミングは、ある作品の千秋楽直後(ときによっては打ち上げの席)になることが多い。将来の構想は、必ず過去の反省を踏まえるわけだから、へとへとのさなかにこんな重い話をされる俳優は気の毒だと思う。
9月23日
 北九州演劇祭十周年記念作品、泊篤志作『IRON』演出のため長逗留していた小倉のホテルで、侯補作を絞り込む。この演劇祭ではナイロン100℃を二度招聘しているので、ひょっとして事務席が持っているのではと思い、『私戯曲(カラフルメリィデオハヨ)』『スマナイ』『ウチハソバヤジャナイ』の有無を尋ねるが、残念ながらありませんとのこと。そこでク・ナウカ演出部の深沢襟に連絡、図書館でのコピーを頼む。
10月18日
 上演作品を『ウチハソバヤジャナイ』に決定。シリーウォーク(ケラ氏の事務所)に上演許可を得るべく連絡。
10月31日
 下北沢・スズナリでの『欲望という名の電車』初日。当日配布のパンフレットの“ク・ナウカ今後の予定”欄に『ウチハソバヤジャナイ』が出現し、「これってマジ?」といぶかる観客からの問合せが続出。
2003年8月8日
 利賀演出家コンタールで外輪能隆氏演出『マクベス』を見る。失敗作だが、例によって外輪氏のセンスは鋭い。眠らせてしまうのは日本の演劇界にとってもったいない才能だと再確認。上演後の夜遅く、彼の泊まっている部屋を尋ね、サラリーマン生活を辞めて演劇に専念するようそそのかす。
10月9日
 外輪能隆氏に、共同演出(戯曲の前半と後半に分けて)を提案するメールを送信。実はこの案、既に八月中から考え始めていたのだが、こうした突飛な思いつきは、思いついた僕自身がその突飛さを面白がりすぎて悦に入ってしまい、冷静な検討がおろそかになりがちなので、糖味噌桶の底の古漬けのようにわざと寝かせておいたのだ。そしてすっかり熱の冷めた頃に取り出してみて、うん、確かに行ける、と思えればGO。
2004年2月11日
 稽古初日。前半と後半で、稽古期間もはっきり分けて、稽古場には演出家が一人しかいないようにした。自分が外輪氏の立場だったら、劇団主宰者が見ている稽古場で演出をつけるのはいやだと思うに違いないからだ。僕は前半の担当で、この日は読み合わせと、「都会の笑いと田舎の笑い」の講義。翌日から立ち稽古。
2月25日
 外輪氏が大阪から上京、僕のパートの通し稽古を見に来る。稽古後、舞台監督の野口氏を交え、深沢襟の舞台美衝デザイン画を囲んでいろいろと検討。いよいよ二十七日から外輪氏パートの稽古。
3月5日
 「ク・ナウカ朗読CD」の録音日。鴎外の『高瀬舟』を吹き込みに釆た阿部一徳から、外輪氏稽古の様子、俳優たちの苦闘を少しだけ漏れ聞く。よはどの大問題が起きていない限り俳優たちと外輪氏で解決してもらおうと考えていたので、出演者のメーリングリストに「苦しみを突き抜けて歓喜に至れ」(ロマン・ロランによるベートーベンの言葉)と激励を送る。
3月18日
 本番初日。外輪氏の手腕に脱帽。『ウチソバ』から「人生の空しさ」というテーマを描き出し、見事に視覚化していた。俳優たちの健闘にも、一種「親バカ」的な胸キュン。
文:宮城聰(ク・ナウカ シアターカンパニー主宰・演出)悲劇喜劇2004年6月号より

「関西劇信」

 「一方、心の襞に入り込み逆なでして毛羽立たせるような、つらさと隣り合わせの厳しい人間関係を浮き立たせてくる舞台の多いエレベーター企画は、天童荒太のサスペンス小説『うつろな恋人』を取り上げた(脚本・演出:外輪能隆、7月13日プラネットホール)。
 40男の塩瀬は、無気力・無感覚になっている自分に気付く。心理治療センターに入院した彼が出会った少女・智子。失なわれた情熱が蘇って来るのを感じた塩瀬は、彼女の恋人で詩人だという緒方に強い嫉妬心を抱く。しかし会うたびに肉感的な詩を智子に送る緒方は、彼女の頭の中にだけ存在していた。
 「語り手で犯人で被害者で探偵で証人である」という奇想天外な設定で話題になったフランス小説があったが、この舞台はまさにそれだ。肉体的には誰も死なないのだけれど。存在の不確かさ。その人にとって自分は存在しているのか。意識から疎外され非存在に堕する怖さ、虚しさ、悲しさ。
 腰掛程の台錐形をぐるりと24個並べた空間。幾何的に区切ることで演技場面の区別・変化をつけている。土本ひろきが塩瀬の「浮き上がった」無感動な感じを基調に示しながら、智子にひきつけられ次第に欲情にむかってゆく様を、下品にならずに演じている。智子を演じる梅崎尚子(劇創ト社)は無邪気な少女っぽさ、「恋人」に対して攻撃された時の怒りの表現、塩瀬に大事な部分を肉体的に占拠されての呆けた気分をよく示した。」
文:神沢和明氏(悲劇喜劇2002年10月号より)

「気になる関西」

 東京から見て、大阪の演劇人はかなりあくの強いものだと、映っているかもしれない。 メジャー志向とマイナーへのこだわりに支えられ、自分に頑固でめげない人たちが多いからだろうか。そうした大阪の小劇団の中でも異彩を放つ、いわばオンリイ・ブランドの劇団指導者たちを紹介したい。今は彼らも東京公演を行うことが多いので、その機会に観てもらえれば幸いである。
 外輪能隆(「エレベーター企画」)。昨年利賀村で行われた「演出家コンクール」で第2位となり、関西圏以外でも知られ始めた。優れた演出家であり脚色者である。外国の心理小説を舞台のためのものに構成し上演することが多い。彼の作り出す舞台には、人間の心という見えにくい部分に隠れてしまった棘を、クリスタルの尖先でほじくり出してゆくような、チリチリした感覚がある。緻密に計算された演出と、それを実現する役者の練られた演技に支えられ、その舞台の緊密感、完成度は関西で群を抜く。単純で無駄の無い美術も特徴的で、日常でありふれたモノが装置として働かされる。『エナメルのコート』『』では並べられたただのパイプ椅子の列が、人と人を遮る障碍や越えがたい距離として、見事に働いていた。『アンソロジー2』での、観客スペイスを対角線に切った通路状の演技空間も強い印象を与えた。最近はヴィデオ映像を取り入れてきているが、これも日常を切り取りそこから虚構を沸き立たせようという意図かと考える。ともかく外輪は、テクスト・言葉・視覚効果・音響すべてを自分の世界の中で確かに捕まえている。もちろんそれは、優れた協力者あってのことだ。土本ひろき、大野美伸という優れた演技者は、彼のヴィジョンに不可欠だろう。特に大野は、「桃園会」の江口恵美とともに関西小劇団を代表する女優であり、感性鋭い演技としなやかな容姿が外輪の演劇世界をある程度現前しているように思われる。ただ、あまりに完成度の高さを求めるためか、その舞台は一般受けしにくい。余計なものをできるだけそぎ取ってゆく作り方も、大阪的でない。「極点を目指す孤高なスクレイパー(そぎ取り屋)」というフレーズが思い浮かぶ。どうかスコット少佐にならないようにと願っている。
 中島らも(笑殺軍団「リリパット・アーミー」)。小説家・エッセイストとしての活躍もめざましく、著作が何冊も出版されているから、東京から見ればメジャーな人物なのだろう。初めは劇団で作・演出ともに担当し出演もしていたが、次第に演出を離れ、座付き作者の立場からも離れかけている。コピーライターとして、面白CMが横行する関西広告界で活躍してきた人物。漫画家のひさうちみちおと組んだ「かねてつのてっちゃん」のブラックな漫画広告は、サブカルチャーの魅力に満ちていた。関西の民放ラジオ(テレビではない)にもしばしば登場し、そのカタツムリと競走するようなモッチャリした話しぶり、相手との会話を成り立たせることをまるで意識していないような天然ボケぶりを示す。一見、「ついでに生きとる」ようなキャラクター。しかしそのエッセイにもうかがえるように、子供のような旺盛な好奇心をもち、自分が面白いと思うことにひっかかると、際限もなく「一人ツッコミ、一人受け」を繰り返し、「行くとこまで行てしまう」。これがそのまま、彼の劇団「リリパット・アーミー」のおかしみに通じている。いや、劇団と言ってよいのか、今でこそ役者を目指している劇団員も増えているが、もともとは芝居と縁の無い人たち、落語家、漫画家、音楽家、広告会社の社員らが中島に誘われて、舞台に出て「まじめに遊んで」いた、その人たちのフラが観客をひきつけていた。劇団のメンバーで、私と付き合いの深い講釈師が話してくれたが、中島はともかく人を惹きつける魅力と、笑いへの強い熱情を持つ、「ごっつう」面白い人物であるらしい。ただしこれだけだと、「リリパット」の舞台はゴビ砂漠を磁石なしで進む多国籍軍如くになりそうだが、実際には全体の5分の4くらいは、テキパキと「かっこ良く」進む。”中華活劇シリーズ”でのカンフーアクションや、いつも挿入されるダンスシーンは見事に極まっていたし、見せ方の工夫もうまい。これは中島のパートナー、わかぎゑふの力だろう。演劇少女であった彼女は笑いが特に好きというわけでもない。だが頭が良く周りが読めるし、筋道というのを好む。他の劇団に客演した彼女の、「自分だけで一丁上がり」の演技には疑問をもったが、「リリパット」ではその決まったところにはめてゆく姿勢が実に有効に働いている。まさに中島、わかぎは幸せな組み合わせといえるだろう。今不安なのは、中島とその友人たちが芝居で「遊ぶ」にはそろそろしんどい年代を迎えることだ。いつまで本気で、アホなことして遊べるか。「リリパット」は今のうちに観ておかねばならない劇団ということになりそうである。
 大塚雅史(「ランニングシアターダッシュ」)。作・演出・照明を担当する。この劇団も東京での公演が多い。「TEAM 発砲・B-ZIN」と組んで「ネヴュラプロジェクト」という提携企画も行っている。神戸の劇団「惑星ピスタチオ」の照明プランナーとして注目されていた。「照明も装置である」ことをはっきり主張し、青を基調とし、絞ったスポット光の線を自在に交差させ、壁を作って舞台を区切る、動きとテンポのあるライティングで場面を作り芝居を進める。レビューやショーで使われている方法なのだが、それを小劇団の芝居の舞台で徹底してやったのだ。「ピスタチオ」は個々の役者たちの肉体性を主張した劇団だったが、大塚も舞台の視覚的要素、役者の身体の表現というものにこだわっている。はっきり言って彼の書く芝居は筋の辻褄があわないのだが、繰り広げられる動きの表現は芝居全体を通して一貫し、説得力をもつ。元気が出る。「熱血疾走演劇」というキャッチフレーズは嘘ではない。演技者たちはみんな実に良く動く。動きがよくそろっているが、ダンスやマイムという類のものではない、動くマスゲーム、演じるエアロビと言おうか。土台はランニングだ。前へ後ろへ左右へ、縦横に走る。一人で、並んで走る。スローで、ダッシュで走る、転がる。疲れを知らぬ動きの連続、的確な位置取り、支配空間の入れ替わり。身体がわめき、歌っている。その体のコーラスに圧倒的なダイナミズムを感じさせる。「熱血」というのは一人ではできない。ライバルとマドンナの存在が不可欠だ。『ジ・エンド・アゲイン』では40年前の初恋の先生の目の前で、60歳の新聞配達の主人公が、陸上部コーチの宿命のライバルとマラソン対決をする。『胸騒ぎ』では、大事な試合で失速して負け、泳ぐことに恐怖をもってしまった高校教師が、定時制の意地と恋を賭けて全日制の水泳部に挑戦する非公認の夜間水泳部のコーチとなる。プールを使えない夜間水泳部がイメージトレーニングで練習に励む、という発想の面白さ。そして舞台では町内大マラソン大会や、全日制の出した記録に挑む夜間水泳部のメドレーが、確かに繰り広げられるのだ。
 いや、誰でも考えることではある。人の体でモノを表したり、出来事に対する個々人の反応を転回して誇張したり、エネルギーの爆発を走る行為に託したり。だがそれを徹底してやっている、やらせていることが、この劇団が秀でているところだ。観客を、自身がスポーツに参加している錯覚に巻き込ませる、その舞台の盛り上がりは、一度観てもらえばわかる。演出の優秀さに対し台本の粗雑さが気になるが、辻褄合わせをしてゆくと劇団の芝居がつぶれるのかもしれない。
 蟷螂襲(「PM/飛ぶ教室」)。役者でタレントである。主宰する劇団では作・演出をしている。流れの良い台詞の文体を持っていて、第5回OMS戯曲賞を受賞(第3回では佳作)したが、基本的にこの人は役者、かなり上手い役者だと思う。「リリパット」で、最初に彼を観た。その後、いろいろな劇団や公演で観ている。ボサッとした見かけで、一癖ありげだが、邪魔にならない、面白い個性をもつ。作者としては、外輪能隆と反対で、饒舌である。台詞が長い。ただし若い人たちの書く長台詞のように、無意味、無関係なものは入ってこない。その台詞の内容にそってどんどん話が続いてゆく。横道にそれてゆくこともない。一本の小さな流れが、途切れそうになりながらもどこまでも流れてゆくように、あるいはまた、バイト先の建設現場で、先輩の土方がコップ酒を片手に自分のこれまでの出来事をいつ終わるともなくつらつら話している、そんな感じ。だが大阪弁でゆったりと語られるそれは耳に馴染みが良い。そして蟷螂や、客演の落語家といった話術に力のある人物の口にかかると、老練のカントリー歌手のバラードのように快い。私とこの劇団が出会った芝居は『足場の上のゴースト』であるが、工事現場の足場から落ちて死んだ「おじい」の49日に、おじいを偲んでやって来た妻や友人の前におじいが、幽霊というにはあまりに当たり前に、現れる。死んだからといって、どこも変わっていない、幽霊になってしまったことをもてあましているようなおじい。そんなおじいの存在を何気なく受け止めながら、もういなくなるんだとという哀しみをちゃんと自覚している仲間たち。極めて日常的な何気ない会話の中に笑いとペーソスがあふれ、この劇団を心のノートに書き留めさせた。そうした「生き損じ」の感じと、それでも今を肯定しようという思いが、戯曲賞を取った『峠の茶屋のおじちゃん』も含め、他の作品にも見て取れる。大人のペーソスを描く作品を好むと言って、よかろう。
 「リリパット」の桂吉朝、旭堂南左衛門、「飛ぶ教室」の桂雀三郎、桂つく枝ら、関西の小劇団には寄席の芸人たちがレギュラーのように出演し、芝居において大きな位置を占めていることは面白い。桂米朝の優秀な弟子である吉朝は、古典落語では近い将来を背負うと目される人物だが、「リリパット」では、固すぎる高座とうって変わって周りを笑わすチョカ者になって、はずせないキャラクターだ。南左衛門は、芸力、人柄、体格、芸名の長さのすべてにおいて兄弟子小南陵をしのぐ上方講談の期待の星で、芝居でもその大仰な勿体ぶった演技ぶりが、周りとの落差を作り笑いを生む。故桂枝雀門下の雀三郎は「おじい」役で実在感(幽霊なのに)を示し、長台詞ももちろんしっかり聞かせ、名優ぶりを示した。桂文枝門下のつく枝は『花見の駅で、二月に』で、まさに役者としての力を見せた。「リリパット」が芸人を芸人として遊ばせるのに対し、「飛ぶ教室」は芸人を役者にしているところが異なるようだ。かつて上岡龍太郎がオレンジルームで「上岡演劇祭」を催して若い劇団に参加させ、賞金を出していたように、演芸界と演劇界が近くにあるということが、関西のもっとも特殊な面かもしれない。
文:神沢和明氏(悲劇喜劇10月号より)

Last Update 16/02/14